Macな生活

Yellows

YELLOWS デジタル版発刊にむけて 五味彬 −−ライナーノーツより引用−−

 「YELLOWS」とは私達黄色人種の意味で、日本人の体型の記録として撮り始めたもので、1989年はる書房からB4型16ページ、2名のモデルからスタート。
 1990年流行通信でイタリアのファッションフォトグラファー、トニー・メネグッツオ氏と「SIMPLY YELLOWS」のタイトルで連載10名撮影、写真集「Nude of J」(朝日出版)として発表。
 1991年集英社月刊プレイボーイ誌で「東京ギャルシリーズ」として連載が始まるが、シリーズ第3回目の撮影が終わった時、突然、連載が中止される。その後一ヶ月もたたぬ時、大手出版社からそのシリーズを写真集にしないかと誘いがあった。全く渡りに船の話だった。

 編集段階で第一の問題はヘアーの修正をするか否かという事で、私としては無修正が第一希望だが、この写真集は体型の記録という事なので、出版社サイドで必要なら修正しても構わないとし、サンプルプリント数枚を編集者に渡し上司の決裁をあおぐ事になった。
 結果は無修正でいくという事になり、10月中旬には表紙の校正が上がり、束見本に装丁したものを当時肺ガン末期で闘病中の母に見せる事が出来た。「YELLOWS」の発想はもともと母の言葉からだった。ファッション写真という仕事上モデルの大半が外国人で、そんな私の写真を見ている母はある日こんな事を言った。「なんであんたは外人さんしか撮らないんだい。最近の子(日本人)は、みんな背も高くなっているのに・・・」
 「YELLOWS」発売まであと2週間という日に母は自分の言葉から息子が始めた仕事の完結を見ずにこの世を去った。

 1991年11月印刷、製本が完了し、配本3日前に担当編集長から発売を中止するとの連絡があった。その理由は社長の決裁という事で詳しくは伝えられなかった。その後一ヶ月に渡り、担当編集長、担当役員と製本された5000冊の処置について話し合いがもたれた。アートディレクションを担当した横山氏と私は何とか「社長を説得、発売できないか?」「外国で発売する事はできないか?」「図書館または写真・美術関係の学校に寄贈配布出来ないか?」「5000冊、20万カ所以上の部分にこちらで修正を入れるので発売できないものか?」という最終提案も受け入れられず、出版社側の税務上という勝手な理由で「断裁」という結果になった。

 1992年1月、なぜ印刷、製本する前に中止しなかったのかという大きな悔いを残し、写真集「YELLOWS」5000冊は断裁され、古紙業者に渡された。

 この「YELLOWS」CD-ROM版は断裁された写真集に使われたオリジナルプリントを紅屋スキャンの石塚氏にスキャニングをお願いし、写真集と同じ構成で編集されたものと、PhotoShopで着色加工したDigitalVersionが収録されている。

ページ上部に戻る